自然災害と教訓
災害年表
〈災害年表〉 【】 昭和45年3月暴風雪・大雪災害(二つ玉低気圧による)
[1970年3月16日〈昭和45年3月16日〉 –

3月16日は、本州を挟むように日本海と本州南岸の二つの低気圧が発達しながら北上、夜には北海道の西と釧路の南海上にそれぞれ達し、17日には択捉島付近で一つの低気圧にまとまり、さらに発達した(中心気圧972hPa)。 18日は低気圧はゆっくりと千島中部付近を北東に進み、北海道付近は等圧線の間隔が狭い状態が続いた。 この影響で、十勝地方では記録的な大雪となり、16日の日降雪量は帯広で102センチ(観測史上1位、北海道史上1位:2018年現在)を記録、広尾でも87センチを記録した。 また、全道的に風も強まり、17日の最大瞬間風速は江差35.3m/s(WNW)、寿都37.6m/s(W)、室蘭33.2m/s(W)、浦河36.2m(W)、根室32.1m/s(ESE)。 16日午後3時以降、根室本線新得-十勝清水間と落合-新得間では6ヶ所で雪崩が発生、上り特急おおぞらが帯広で、下り急行狩勝2号が新得駅でそれぞれ立往生、根室本線厚内駅付近や標津線厚床付近では16日午後5時ころに吹きだまりに列車が突っ込み、運転不能となり、国鉄釧路鉄道局では16日午後8時から全列車の運転を取りやめた。 このほか、富良野線西中駅や天北線曲淵駅、天北線恵北-声問間などで列車が立往生するなどし、道内13駅で16本の列車がストップ、2675人が車内に閉じ込められ、一夜を明かした。 16日の札幌はベタ雪から強い雨に変わり、市内各所で道路が冠水、手稲東中付近などバスのステップをこえるほどの冠水箇所が出たほか、国道12号は下白石付近で道路冠水が30センチ近くに達し、動けなくなる車が続出した。 16日午後8時頃、釧路村別保の送電線が着雪により断線し、釧路市内約4万戸が停電、約4時間全市が暗黒につつまれた。 幌泉町(現・えりも町)では目黒地区から3キロ十勝寄りの地点で長さ400mにわたり雪崩が発生、国鉄バスが雪崩に前後をはさまれて立往生し、救出に向かったブルトーザーも雪崩で埋没、運行不能となった。乗客30名は目黒地区まで歩いて避難した。 新得町屈足では道道で幅10メートルにおよぶ雪崩が発生、木材運搬のトラック10台のうち、先頭の5台が埋没し、一人が軽いけがを負った。 支笏湖の道道支笏-洞爺線(現・国道276号)の硬石山附近で、苫小牧営林署の職員夫妻が雪崩に押し流され、無事救出されたが、救助にむかった別の営林署職員が行方不明となった。 17日は道北方面で猛吹雪により交通障害が頻発、音威子府駅で立ち往生した急行宗谷の乗客105名など、幌延駅や中頓別駅など7か所で695名が列車に閉じ込められた。 日高本線では厚賀駅-節婦駅間で高さ8メートルの高波により路床2か所が決壊、約15メートルにわたって線路が中吊り状態となった。 また、択捉島沖で漁をしていた19隻の漁船が、シケを避けるため択捉島の海岸へ緊急避難したが、高波とともに流氷が押し寄せたため、スクリューを破損したり、船体を浅瀬へ押されるなどし、8隻が遭難した。 また道央も暴風雪により、国道5号の札幌市手稲-小樽市朝里間、国道12号の江別大橋付近が車の事故による交通渋滞が原因となり不通となった。札沼線や岩内線でも列車の立往生が随所にあり、函館本線幌向駅でも下り貨物列車が吹きだまりに突っ込むなどしたため、札幌・苗穂・江別など各駅で通勤客など約6700人が”列車ホテル”で一夜を明かした。(17日夜から18日朝にかけて列車内で一夜を明かした乗客は全道で約1万人に達した) 札幌市内では悪路で故障などして乗り捨てる車などにより交通渋滞し、札幌駅北口から北二十条までの約2キロが35分もかかるほどとなった。札幌中学校では、生徒39人が吹雪の中の帰宅は危険であるため、構内に宿泊した。 国道234号線では17日午後6時ごろから岩見沢市と栗沢町間で約150台の車両が立往生、3人がCO中毒により病院に収容された。 稚内市チカップでは自衛隊員1名が吹雪の中を帰宅中に行方不明となった。 この暴風雪災害により、死者4名、行方不明1名、負傷17名、住家全壊4、半壊4、一部破損40棟、床上浸水33棟、床下102棟、道路破壊53箇所、河川決壊1ヶ所、海岸損壊22ヶ所、港湾被害2ヶ所、漁港被害9ヶ所、漁船被害32隻の被害があった。 このほか、国鉄列車運休16日256本、17日491本、18日773本、19日673本、道路不通18日294路線、青函連絡船欠航5便、貨物船52便、16~19日空の便欠航56便、電話回線障害約7,000件、道南・道東で送配電線故障の被害があった。

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