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自然災害と教訓
(史跡)
(史跡)
〈史跡〉 【気象】 気象関係史跡(利尻富士町)
[全道,道北,宗谷,利尻富士町]
● 第壱美保丸遭難者之碑
名称 |
第壱美保丸遭難者之碑 |
存在住所 |
利尻富士町鬼脇字鬼脇 曹洞宗大沢寺境内 |
碑文の概要または災害痕跡の概要 |
大正11年3月21日、出漁中、第三豊漁丸、中川工場第一・二美保丸が難破。海難死亡者は、15名となる。この日の暴風と波浪については、今までにないものとなった。 この痛ましい海難犠牲に関連して、「海難碑」が建てられた。 |
建立年 |
大正11年8月 |
災害碑写真 |
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備考 |
● 第三魁丸遭難者之碑
名称 |
第三魁丸遭難者之碑 |
存在住所 |
利尻富士町鴛泊字本町 日蓮宗妙海寺境内 |
碑文の概要または |
大正12年3月25日に野塚岬に座礁した東照丸を離礁するために来島したサルベージ船魁丸が、4月4日鴛泊港内で猛吹雪・大時化のため、海岸に打ち上げられ、転覆した。犠牲者は、船長以下23名となる。 この痛ましい海難犠牲に関連して、「海難碑」が建てられた。 |
建立年 |
大正12年11月 |
災害碑写真 |
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備考 |
● 鱈釣遭難記念碑
名称 |
鱈釣遭難記念碑 |
存在住所 |
利尻富士町鬼脇字石崎 浄土真宗共同寺境内 |
碑文の概要または |
おそらく明治32年12月9日に発生した海難遭難によって建てられたものと考えられる。にわかな嵐により、本泊・鴛泊で蝶・鱈漁中の漁船10数隻が押し流され、3隻16名が行方不明となった。この海難犠牲に関連して、建てられた「海難碑」となる。 |
建立年 |
明治41年1月16日 |
災害碑写真 |
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備考 |
関連メディア
- なし
関連資料
- なし